京浜急行電鉄は、なぜ全面塗装に回帰したのか

京浜急行電鉄は、なぜ全面塗装に回帰したのか

2018.04.24

2017年の12月、金沢八景から京急久里浜まで「白い京急電車」が走行し、ちょっとした話題となった。これは京急の新造車のうち一部が、工程上の都合によって、中塗りまでの段階でメーカーを出場。久里浜の京急ファインテック(京急の電車のメンテナンスを担当するグループ会社)まで回送し、同社で上塗りを施す過程で出現したものであった。

ただ、色が白いか赤いかは注目すべきポイントではない。2017年度に製造、投入された京急1000形の17次車(17回目の新造となるロット)は、車体自体はステンレス製なのに、全面的に塗料による塗装が施されたことに意味があるのだ。

ステンレス車は元来、無塗装でよい

2007年に登場した、一部無塗装のステンレス車。かなり幅広く赤でラッピングされたが、やはり金属の地肌は目立つ

1000形の5次車まで、車体はアルミニウム合金製で、塗料によって赤とクリーム色のツートンカラーが塗られていた。6次車以降は設計が変わり、車体が同社では初採用のステンレスとなった。

ステンレスは錆による腐食に対して非常に強いという特徴を持つ。雨風にさらされる中で使われる鉄道車両にはもってこいの素材と言えよう。

そして耐久性の高さゆえ、保護のための塗装も基本的に不要だ。その分、メンテナンスの手間も費用も軽減される。JR東日本など、大半の会社のステンレス車は、装飾の意味で色帯などのフィルムを貼っているが、その特性を損なうほどではない。京急のステンレス車も同様で、客室窓の周りなど、一部が無塗装のまま銀色の地肌をさらしている。

2017年度の新造車で復活した「全面塗装車」。車体自体はステンレス製だが、それを感じさせない

しかしながら、京急はこうしたステンレスのメリットを承知の上で、今回、新造車の全面塗装に踏み切った。ステンレス車が登場した直後、経営陣から「やはり京急は『赤い電車』だ」という声が上がったそうなのだ。

京急に初めて赤に白帯の電車が現れたのは、1953年のこと。1978年には、現在も続く窓周りを広くクリーム色にした新しい塗り分けが登場したが、基本的には京急イコール「赤い電車」という企業イメージが、60年以上にも渡って受け継がれてきた。

「敢えて塗装したステンレス車」の前例である、南海1000系(前寄り2両)

それゆえ、無塗装部分をかなり狭めたとはいえ、銀色の金属的な地肌が目立つ電車は「京急らしくない」と、感じられたのだろう。一度変えた設計は、なかなか元へ戻しづらいもの。だが今回、それを敢えて“塗装する”という選択をすることによって、電車の基本設計自体は変えずに、企業イメージの構築に再び役立てるようにしたのである。

敢えて塗装したステンレス車の前例はいくつかある。代表的なところでは、南海電気鉄道の1000系がある。ただ、京急の「赤」への回帰は、やはりインパクトが強かった。

電車の色が企業イメージという会社は多い

日常的な存在ゆえに、電車の色が鉄道会社、ひいては鉄道が走る地域のイメージと結びつけられることは多い。典型的な例が阪急電鉄で、創業以来の「マルーン」をまとった上品な電車は、沿線住民の誇り、アイデンティティでもある。他にも、小田急電鉄の「青帯」や西武鉄道の「黄色」などもある。会社全体ではなくても、東京メトロ丸ノ内線の「赤にサインカーブ」やJR東日本中央線快速の「オレンジ」など、例は枚挙にいとまがない。

左:京急のイメージは、やはり赤に白帯(写真は800形)。右:阪急のイメージカラーは、創業から100年以上変わらない「マルーン」だ

私鉄はそうしたイメージを事業に活用してきた。バブル期頃よりもてはやされた「CI戦略」の一環でもあるが、その歴史はさらに古くさかのぼれそうだ。例えば阪急は、マルーンの電車から感じられる高級感を、グループ全体のイメージづけに利用している。それが京急においてはやはり、1950年代からの「赤」だったのだ。

鹿児島市電における京急の全面広告車も、赤に窓周りがクリーム色である。(撮影:冨吉郷太)

最近、京急は他地方の鉄道会社の車両に、全面ラッピングによる広告を盛んに出稿している。2017年10月の大阪高速鉄道(大阪モノレール)に始まり、沖縄都市モノレール(ゆいレール)、長崎電気軌道、鹿児島市電、高松琴平電気鉄道、そして広島電鉄(2018年4月23日より)と立て続けである。

アピール内容は、羽田空港から都心へのアクセス。航空路を通じて、各地方と東京都心が京急の羽田空港国内線ターミナル駅を介して密接につながっていることをPRしている。

この広告電車が、いずれも赤とクリームのツートンという、京急の電車を模したものなのだ。京急=赤というイメージがフル活用され、各地方の人に赤い電車のイメージを植え付けている。特に、高松琴平電気鉄道の広告電車は、京急から同社に譲渡された車両に施されたことにより、さらなる話題を呼んでいる。

こうした流れもあって京急は、肝心の自社の電車にも伝統の塗色を復活させたのである。色というものは、単純だが、訴求力は強い。

商売人には向いていない?

「毎度おおきに」

そのひとことが自然に言えていたら、書体設計士・橋本和夫は誕生していなかった。

書体設計士・橋本和夫さん

活版印刷で用いられた活字、オフセット印刷や画面表示などに用いられている写植やデジタルフォント。三世代の書体デザインにたずさわってきた83歳の現役書体設計士・橋本和夫さんは、大阪市浪速区の生まれだ。5人兄弟の3番目で、1935年(昭和10)2月生まれ。父は戦前、近所のひとと共同経営で、豆菓子の製造・販売業を営んでいた。

戦時中に小学生だった橋本さんは、小学4年生から2年間、滋賀県への学童疎開を経験した。戦争が終わり、大阪に戻ると、自宅も小学校も全焼し、あたりは焼け野原。かつて校庭だった場所に机と椅子を置く「青空教室」で過ごした。

戦後、学校制度が6・3・3・4制となり、橋本さんは新制中学の1期生として、浪速西中学校に入学した。卒業後は、浪速高校に進学。クラスメートの8割以上は中学卒業後に就職の道を選ぶという時代だった。

「同級生でも高校に進学したのは2人か3人でした。ぼくはたまたま運がよかったんですね」(橋本さん)

高校に通っているころ、ひとまわり歳の離れた一番上の兄が商売を始めた。研究所や化学工場に、フラスコやビーカー、試験管といった実験器具を納める仲介業者だった。橋本さんは高校を卒業すると、兄の仕事を手伝うことになった。

「研究所や工場をまわって、『フラスコを何個もってきてください』などと注文を受けては、割れないようにそれを梱包して、自転車で配達する仕事でした。それはいいんだけれど、大阪では商人がそうやって配達に行くと、『毎度おおきに』と言って入っていくのがふつうだったんですね。ぼくはその『毎度おおきに』という言葉がすごく苦手だったんです。もちろん、無言で入っていくわけじゃないですよ。『こんにちは』とあいさつして入っていってましたけど、ぎこちなかったんでしょうね。兄貴はよく『おまえのとこの弟はなんだ』と言われたらしい。でも、白衣を着た、しかめつらしい研究所のひとたちに気軽に話しかけることが、ぼくにはどうしてもできなかったんですね。だから、自分は商売には向かないんだなと思ったんです」

そんなときに新聞で、たまたま求人広告を見つけた。

「事務員募集と書かれているのを見て、内勤ならばぼくに向いているんじゃないかと思って、履歴書を送りました。会社勤めをして月給をもらいたいという思いもあった。兄貴の会社の手伝いだと、月給ではなく、こづかいをもらうという感じだったので」

やがて先方から、「面接に来てください」という連絡が入った。「モトヤ」という会社だった。

「なにをしている会社かは、まったく知りませんでした」

ゲンジ課に行ってください

指定された日にモトヤを訪ねると、社長の古門正夫氏が現れて「ちょっと待っててもらえますか」と言われた。てっきりそのまま面接をおこなうと思っていたら、また別の眼鏡をかけた年輩の男性が、紙をもって現れた。5~6cm四方のその紙は、よく見るとなかに青い線が1mm間隔ぐらいで縦横に引かれた方眼紙だった。

男性はそれと面相筆を橋本さんに渡すと、「この紙に2マス分の幅で四角い枠と『+』を描いてください」と言った。道具は墨と筆だけで、定規もない。橋本さんは驚きながらも硯で墨をすり、その細い筆ではみ出さないように一生懸命マスを塗りつぶしていった。

「2mm幅の線の塗り絵みたいなものですよね。青い線からはみ出しちゃダメっていうんです。方眼用紙自体も初めて見ましたし、そんな細い線を筆で引いたこともない。とにかく必死で描いて、だいたい1時間ぐらいで終わったでしょうか。年輩の眼鏡の男性に渡すと『まあよう描けてますね。今日はもう帰っていいですよ』と言われて」

ただ「1週間後にまた来てください」とだけ言われた。どうやら試験に合格し、採用されたらしかった。

1週間後の1954年(昭和29)6月15日、橋本さんは再びモトヤを訪ねた。

「橋本さんは、ゲンジ課に行ってください」 「ゲンジ?」

事務員募集に応募したのだから、総務課や人事課で仕事をするのだと思っていた。「ゲンジ」という仕事は聞いたことがなかった。

「ゲンジ」とは、活版印刷に用いる金属活字のデザインのもととなる「原字」のことだった。橋本さんが就職した「モトヤ」は、活字製造販売会社だったのだ。津田三省堂や森川龍文堂、日本活字、岩田母型(現イワタ)とならび、活字で有名な会社。現在もデジタルフォントや印刷機材販売をおこなっている株式会社モトヤである。(つづく)

話し手 プロフィール

 

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

 

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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Twitter担当者を悩ませるツイートの問題、何をつぶやくべきか - Twitter Japanに聞く

Twitter担当者を悩ませるツイートの問題、何をつぶやくべきか - Twitter Japanに聞く

2018.04.24

実際にTwitterを運用しようとすると、細かいことが気になりだすものだ。担当者は365日24時間張り付いていなければいけないのか? そもそもツイート内容に困る、といった様々な疑問が生まれてくるはずだ。Twitter Japan K.K.のシニアマーケティングマネジャー 森田謙太郎氏に話を聞いた。

Twitter Japan K.K.のシニアマーケティングマネジャー 森田謙太郎氏

担当者の一言で張り付かずに済む

Twitterを使うと、フォロワーからいつリプライが来てもおかしくはない。深夜だったり、休日だったり様々だ。担当者はTwitterに張り付く必要があるのだろうか。担当者としては悩ましい限りだが、この問題を解決するのは実は簡単なようだ。

森田氏は「今、どういう状況、立ち位置にいるかをフォロワーに伝えることが大事」だと話す。たとえば、「おはようございます」とツイートすることで、就業開始の合図とし、終業時刻に「本日もお疲れ様でした」というツイートで事足りるという。担当者が有給休暇をとるなら「明日は休みます」とツイートするのだ。

もし、日々のツイートが難しいのであれば、プロフィールに「たまにツイートします」などと記しておく。質問が大量に投げかけれらるという事態が想定されるならば、あらかじめTwitterのプロフィールに「お問合せには回答できない場合があります」などと明記しておく。

こうして、アカウントのキャラクターを知らせておけば、フォロワーの期待を裏切らずに済む。こうすることで回避できるトラブルも多くなりそうだ。

毎日何をつぶやけばいいのか

次にツイートについて。前回、運用ポリシーの策定、アカウントのキャラクター設定、情報のターゲットを明確にすることで、まったく自由な状態から、ツイート内容をある程度規定できると説明した。

だが、それでも迷いそうだ。自社の新製品や新サービスはツイートネタになるだろうが、毎日あるわけでもない。何をツイートすればいいのか、は頭を悩ませるはずだ。

しかし、肩肘ははらなくていい。森田氏は「Twitterは会話のプラットフォーム。会話のきっかけになるようなツイートで十分。担当者が日々思っていることでもいい」という。森田氏のいわんとすることを理解するには、Twitterでのやりとりは、"行きつけのお店"をイメージしてみればいいかもしれない。

馴染みの店がある人ならばわかるが、ふらっと立ち寄って、お店の人との会話を楽しみに行く。居酒屋ならば、1、2杯飲んで帰ってしまう。物販ならば、ときどき物を買うけれど、毎日は買わない。そんな客だと知っているからこそ、店も毎日、商品やサービスを勧めるわけでもない。お店に馴染みの客がやってきたら、何と声をかけるべきか、そんなイメージでいいようだ。

使える「今日は何の日」

それでも何をツイートしたらいいかわからない、という人のために、森田氏がひとつオススメを教えてくれた。それは「今日は何の日か」だ。多くのTwitter担当者がこれをチェックしているという。

たとえば、今日がホワイトデーなら、ホワイトデーにちなんで、自社製品やサービスと結びつけてツイートするのだ。結びつけは難しそうだ。すぐに反応できるように普段から、自社商品の特徴や製品・サービス開発者の思いやこだわり、会社の歴史など様々なこと勉強しておくことも不可欠になりそうだ。

確かに「今日は何の日か」というのは、誰もが興味を持ちうるテーマであり、そこに自社製品やサービスと結びつけても、コミュニケーションは成り立ちやすそうだ。誰もが興味を持ちそうなテーマを探す努力は必要だろう。

対して、控えるべきツイートもある。一言で言えば、賛否が分かれるようなものだ。好き嫌いがはっきり分かれる内容とも言える。

たとえば、「好きなサッカーチームはどこ?」「AKB48のなかで誰が一番好き?」などといったツイートは、会話の流れでアカウントを色付けしてしまい、フォローを外されてしまいかねないようだ。政治ネタも同様、控えたほうがよさそうだ。

前回に続き、Twitter運用のコツを記してきたが、Twitterはあくまでコミュニケーションツール。効果を求めるのではなく、会話のやりとりを重ねた結果として、いつの間にか効果が上がっていく。そんな認識でTwitterと向き合ったほうがよさそうだ。