スポーツカー電動化時代が到来、ポルシェは“らしさ”を貫けるか

スポーツカー電動化時代が到来、ポルシェは“らしさ”を貫けるか

2018.03.05

クルマの電動化はスポーツカーの世界にも及ぼうとしているが、ポルシェも例外ではない。それどころか、同社は巨額の投資を行い、電化を急いでいる側面もある。そこで気になるのは、“電動ポルシェ”がポルシェらしいのかどうかだ。その辺りを含め、ポルシェの電動化についてポルシェ ジャパンの七五三木(しめぎ)敏幸社長に話を聞いた。

ポルシェは独特の乗り味を持つクルマだが、電動化するとポルシェらしさは減るのか、増えるのか(画像は「911 タルガ 4 GTS」)

スポーツカーに電化の波、ポルシェ「ミッションE」の衝撃

スポーツカーの世界では、すでにハイブリッド(HV)やプラグインハイブリッド(PHV)で市販されている車種もある。例えばポルシェは、2010年にSUVの「カイエン S ハイブリッド」を、また同様のシステムで2011年には「パナメーラ S ハイブリッド」を発売している。BMWは電動車の新しいブランドである「i」を立ち上げ、2013年にPHVスポーツカーの「i8」を発売した。

イタリアのフェラーリは、「ラ フェラーリ」(LaFerrari)というHVを世界限定499台で2013年に発売。このクルマには、F1のレースカーで当時採用していたエネルギー回生システムを応用した機構を用いているといわれる。

中でも、スポーツカーメーカーであるポルシェが、クーペボディの4ドア電気自動車(EV)「ミッションE」(Mission E)を2015年に発表し、2019年にも発売を開始する予定であると宣言したのは、かなり衝撃的な出来事だったといえるだろう。

2015年のフランクフルトモーターショーで発表された「ミッションE」のコンセプトカー(画像提供:ポルシェ ジャパン)

電動ポルシェに乗ってみた感想は?

その試作車に同乗したという、ポルシェ ジャパンの七五三木社長は、「まぎれもなくポルシェだった」(以下、発言は七五三木社長)と感動的に語る。では、「まぎれもないポルシェ」とは、どういう意味なのだろうか。

「コンピュータで操縦特性を変えられたり、エンジン車以上に駆動輪の制御が緻密な感じがしたりしましたが、ポルシェの開発者たちは、(電動化は)自動運転のようにクルマが走りを制御するのではなく、あくまで運転者を助けるための技術だと言います。運転者はハンドルから手を離すことなく、走る、曲がる、止まるの動きを、EVでもエンジン車と同じように感じられなければならないと考え、開発しているようです。制御装置の凄さではなく、人馬一体感が根幹となるスポーツカーでなければならないとの定義が、ポルシェAG(ドイツ本社)の中にはあります」

話を聞いたポルシェ ジャパンの七五三木社長

「EV化をしても、これまでと全く変わらないのが理想でしょう。ミッションEが目指すのは、加減速を何度繰り返しても、バッテリーの充電残量が減ることによる性能低下を覚えさせないこととのリリースも発表しています」

2017年7月、フランス政府と英国政府は相次いで、2040年にはエンジン車の販売を禁止するとの声明を出した。それ以降、自動車業界は電動化へと大きく舵を切り始めた。だが、ポルシェも同じように慌てて電動化へ移行したのではなく、あくまで電動化してもポルシェはポルシェという、スポーツカーの乗り味を実現できるから取り組むのだと、七五三木社長は力強く答えた。

ポルシェの始まりは電気自動車だった

そもそも、ポルシェの創業者であるフェルディナント・ポルシェ博士が最初に作ったクルマは、EVの「ローナーポルシェ」だった。19世紀末のエンジンは未熟で、電動のモーターの方が動力として有望であった。

フェルディナント・ポルシェ博士が最初に作ったクルマであるEVの「ローナーポルシェ」(画像提供:ポルシェ ジャパン)

ポルシェの電動化を支えるのが、ポルシェAGが発表した60億ユーロ(約8,000億円)を超える「E-モビリティ」(電動化車両などのこと)への投資だ。七五三木社長は次のように語る。

「主力工場のあるツッフェンハウゼンでは、それまで駐車場に使っていた土地にミッションEを作る工場を建てました。また、ドイツの雑誌には、2023~2024年の間に、50%を超える電動車比率にするとルッツ・メシュケCFOが語った記事が掲載されました」

「ミッションE」(画像はコンセプトカー)の試作車がすでに誕生している(画像提供:ポルシェ ジャパン)

「2015年のミッションEの公表に始まり、2017年には具体的な電動化車両の数値をCFOが語り、そのため60億ユーロを超える大きな投資を行うという、電動化へ向けた3つの大事な発表をポルシェAGは行っています」

あわせてポルシェAGは、同じフォルクスワーゲン(VW)グループのアウディと、EVのプレミアム・プラットフォーム・エレクトリック(PPE)の開発を共同で行うと発表している。これにより、開発速度を早めることができ、各社の投資額も抑制することが可能だとする内容だ。ただし、この点について七五三木社長は、現在コメントできる内容はないとした。

日本でも増え始めた「パナメーラ」のPHV

では、ポルシェの電動化の動きは、日本市場にどのような影響や、状況を生み出すのだろうか。

カイエンやパナメーラではPHVの販売が日本でも開始されているが、パナメーラの例でいえば、「2015年に販売の15%であったPHV比率が、新型パナメーラでは25%に増えています。そのような市場の変化の中で私が驚いたのは、『ポルシェカップ』というポルシェのワンメイクレースに出場していた方が、パナメーラのPHVをお求めになり、大変満足していらっしゃることです」と七五三木社長は語る。

「パナメーラ ターボ S E ハイブリッド」(画像提供:ポルシェ ジャパン)

ちなみにフランス市場では、2016年にパナメーラのPHV比率が10%ほどであり、ディーゼルエンジン比率がガソリンよりも高かった状況であったのが、翌2017年にはPHV比率が一気に65%まで高まったという。逆に、ディーゼルエンジン比率が激減し、エンジン車ではガソリンが上回る結果になっているとのことだ。

フランスは、全般的にディーゼル車の比率がもともと高かった。だが、昨年のフランス政府の発表より前の2014年に、パリのアンヌ・イダルゴ市長が、パリ市内へのディーゼル車乗り入れ禁止を打ち出した影響もあるだろう。

日本の充電インフラ整備にも目を向けるポルシェ

ミッションEの日本導入は、東京オリンピックの2020年前後あたりか、しばらく先となるようだ。導入までには電動車の受け入れ態勢を整えたいと七五三木社長は語る。

「テスラの例を耳にしたのですが、お客様の4割ほどは自宅に充電設備を持っていないとのことです。したがって、充電インフラの整備が重要であると思っています。ただし、それを1社でやるのは大変ですから、フォルクスワーゲングループとして充実させていければと考えています」

具体的には、ディーラーやサービス拠点に充電器の設置を進めるという。

日本で電動車の受け入れ態勢を整えたいと語った七五三木社長

充電設備の設置に日本独特の課題も

日本は、高級車や高性能スポーツカーを所有する富裕層も、マンションなど集合住宅に住む例が都市部では多く、一方で、既存の集合住宅の駐車場への充電設備の設置は、管理組合の合意を得なければ難しい状況にある。また、充電設備を利用した人に対する料金の徴収に認証機能などが必要となるため、急速ではない200Vの普通充電においても、高額の充電器を設置する必要がある。

戸建て住宅であれば、数千円の200Vコンセントに加え、配電盤からの配線工事であれば数万円から10万円程度で充電設備を設置できる。ところが、集合住宅では設置する上で課題があり、EV所有者が自宅に充電設備を設置できない比率が高い。

この状況を打破するため東京都は、集合住宅への充電器設置の費用と、管理組合などでの合意形成の支援を都として行うと、2018年の初めに表明した。

「まぎれもないポルシェ」の乗り味を提供できるか

ポルシェの電動車導入の件でもう1つ、七五三木社長は「できるだけ早くEVを導入し、お客様に体験していただくことも大切だと考えています」と話す。

日本ではなお、EVは走行距離が心配だとか、走りがよくないのではないかといった先入観を持つ人が多い。なおかつ、多くの人がモーターの走りを経験していないため、電動化したポルシェが、どのようなポルシェらしさを発揮しうるのか、想像できないというのが正直なところだろう。

「911 タルガ 4 GTS」(画像左)をオープントップにして走ると顕著に感じられるのだが、ポルシェはエンジン音にも独特の魅力がある。走りの静けさを特徴とするEVの「ミッションE」(画像右、提供:ポルシェ ジャパン)で、音はどうするのか。七五三木社長に聞いてみると「秘密」とのことだったので、何か工夫があるのかもしれない

ちなみに、600馬力のモーター出力を持つミッションEは、静止状態から時速100キロまでの加速をわずか3.5秒でやってのけると公表されているが、実はテスラの4ドアセダンである「モデルS」は同2.7秒だ。単に数値を比較するだけなら、スポーツカーより4ドアセダンの方が速いということがEVでは起こりうる。

記事の冒頭で七五三木社長が「まぎれもなくポルシェだった」と感想を述べたような乗り味を実体験することは、EVにとって何より重要であり、また何よりポルシェファンも安心するに違いない。

PHVの導入においても、環境性能を無視するわけではないものの、ポルシェはあくまで、パフォーマンスに重点を置いている。新型パナメーラのPHVは、最上級車種として位置づけられているくらいだ。つまりポルシェは、電気の力をクルマの走りに活用している。まずはポルシェの最新PHVが、どのようなポルシェらしさを携えているのかが気になるところだが、いずれ報告できる機会があるかもしれない。

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。