記者会見から見えた、ソニー新CEO 吉田氏の顔

記者会見から見えた、ソニー新CEO 吉田氏の顔

2018.02.03

ソニーは2月2日、同社 取締役 代表執行役 社長 兼 CEOの平井 一夫氏が4月1日付で社長を退任し、取締役会長に就任すると発表した。新たな社長 兼 CEOには、副社長 兼 CFOの吉田憲一郎氏が昇格する。

吉田氏は財務畑を歩んできた人物で、2000年にはソニーコミュニケーションネットワーク(その後ソネット、現ソニーネットワークコミュニケーションズ)に移り、2005年に同社 代表取締役社長に就任。2013年12月に平井氏の要請もあり、ソニー本社の執行役 EVP CSO(最高戦略責任者) 兼 デピュティ CFO就任した。

2015年4月に現在の副社長 兼 CFOに就いた後には、経営規律の正常化と高収益企業への脱皮を図るために奔走。大きくマイナス基調であったキャッシュフローの持ち直しに成功し、同日に発表された今期の通期見通しでも同社過去最高益となる7200億円を見込むなど、平井氏と二人三脚でソニー立て直しに尽力してきた。

4月1日付でソニー 取締役会長に就任する平井一夫氏(左)と、同じく同社 取締役 代表執行役 社長 兼 CEOの吉田憲一郎氏(右)

平井氏は、吉田氏を「CFOとしてのみならず、経営パートナーとして一緒に主導してくれた。戦略思考と多様な事業領域の幅広い知見を持ち、リーダーシップを含め、(新CEOに)最もふさわしい人物」と評価する。

「SONY」ブランドをより高められるか

吉田氏は記者会見の冒頭、「1997年度以来の最高業績を見通せるようになったのは喜ばしいが、それは我々が20年間、自分自身を超えられなかった会社だったと思ってる」と語り、過去最高益とは思えぬ、そして就任会見とも思えぬ、緊張の面持ちで言葉を口にした。

実のところ、過去最高益の中身が悪いとは言えない。第1四半期~第3四半期の連結業績では売上高が前年同期比15.7%増の6兆5930億円、一時要因を除いた調整後営業利益の比較でも同65.2%増の6684億円と、現時点で過去最高益を達成している。

売上高の通期見通しでは、ゲーム&ネットワークサービス分野が600億円、モバイルコミュニケーション分野が400億円、半導体で300億円のマイナス修正があるものの、売上高の通期見通しは維持、営業利益では+900億円の予想だ。2016年度の第3四半期には期初から2932億円悪化したキャッシュフローも、同期比で2013億円の改善(+1769億円)を果たした。

「(停滞していた)20年の間、グローバルの環境は変わった。グローバルの中で、ソニーの位置付けは大きく異なったし、競争力を高めていけるのかという課題は、平井とともに共有している危機感だ。ソニーの最大の強みは、世界に親しまれている『SONY』のブランドであり、それは最大の資産でもある」(吉田氏)

危機感の中身は「市場環境の変化」と「ソニー自身」。

例えば全社好調の中、2四半期連続で通期の売上見通しを引き下げたモバイル・コミュニケーション分野は、主力スマートフォンのXperiaが二眼カメラやワイドディスプレイなどのトレンドに乗り遅れ、販売見通しを前年度割れの1400万台まで引き下げた。細かい点では、今四半期決算からセグメントの表示順がこれまでの最上位から、6番手まで引き下げられた。好調な半導体分野が7番手にあるとはいえ、優先度が高いとは言い難い状況にあるのだろう。

苦戦が続くモバイル・コミュニケーション分野だが、「ラストワンインチ」を掲げるソニーにとって、この部門は欠かせない存在だ

吉田氏の後任としてCFOに就任する十時 裕樹氏はソニーモバイルコミュニケーションズ 代表取締役社長 兼 CEOだったが、4月1日付ではこの領域を外れ、モバイルコミュニケーション事業担当の後任には石塚 茂樹氏が就くものの、同日付でソニーモバイルコミュニケーションズの社長就任は決まっていない。吉田氏は「新しい3カ年の中期経営計画は新しい体制で推進するが、今日の発表以外にもいくつかの人事・組織変更を議論している」と語っており、もうひと波乱がありそうだ。

市場の変化への対応力ではもう一点、イメージセンサーが好調な半導体分野がある。こちらは、昨対比でモバイル向けイメージセンサーの販売数量が大幅な増加を記録して増収増益だったが、売上高の通期見通しは300億円下方修正された。AppleのiPhone Xの減産が話題となったタイミングでの修正で報道陣から質問が富んだが「中国のスマホ市場が減速したことによる同国メーカーの受注減。それ以外は想定通りの推移」(吉田氏)。

そのため、好調な半導体事業や映画事業など、バランスシートが重たくなる投資が多い事業の経営判断については「投資判断を間違わないようにしたい」と吉田氏は慎重な姿勢を見せる。ただ、同事業はモバイル用途以外にも各種センシングや監視カメラ、FA(ファクトリー・オートメーション)、先日車メーカーらとの協業が発表された車載向けなど好材料もあるため、長期的な成長が見込めると判断しているようだ。

一方で、退任する平井氏も危惧するのが「好業績を背景とした気の緩み、危機感や緊張感がなくなることが心配だ」(平井氏)。吉田氏も、バランスシートの改善は緒についたばかりであり、そもそもグローバルメーカーとして競争力が付いていないという見立てを話す。

「(株式市場の)時価総額という形で世の中(の企業価値)を見てみると、以前のトップ企業は『資源』企業ばかりだったものが、今はテクノロジー企業が多くを占める。ソニーはテクノロジーの会社。だからそこに、危機感がある」(吉田氏)

平井氏はこの数年間、ソニーのミッションを「お客さまに『感動』を提供する」と掲げ、コンシューマーエレクトロニクスの再生を果たした。PS4のゲーム&ネットワークサービスは、定額制サービス「PS+」のグローバル会員数が3000万人を超え、テレビやカメラなどは一時期戦犯視されながらも高収益が見込めるハイエンド市場を果敢に攻め、着実に成果を残した。

吉田氏はこの路線を引き継ぐとしつつも、感動を提供するビジネス側、B2B事業の拡大も示唆した。

「会社の競争力を上げていく上で、『感動の提供』というキーワードに合わせるならば形としてはコンテンツとIPが重要になる。映画事業ではジュマンジが好調だったが、これは1995年に作られたIPだ。今回のヒットではなくIPの価値が上がったことが重要で、同様にコンテンツ面ではユーザーに近いPSNも投資すべきポイント。クリエイターに近いところとユーザーに近いところ、ここへの投資を増やして企業価値を上げていきたい」(吉田氏)

ジュマンジのヒットは短期的な要因だが、長期的には「IPの価値向上」がソニーにとって大きな意味を持つと吉田氏は話す

質疑応答で吉田氏は、「短い時間軸であれば、私という議論だったようだ」と語ったように、財務畑の吉田氏はあくまでソニーの財務基盤をより強固にするための中継ぎであり、テクノロジーをよりよく知る「次期経営者候補」の育成期間なのかもしれない。

過去最高益だった1997年、その次に高い利益水準だった2007年の翌年以降は利益水準を維持できず、韓国勢の台頭を許した。同じ轍を踏まぬためにも「持続的に高水準の利益を黒く出来るかが大きなチャレンジ。経営陣としてやらなければならないところ」(吉田氏)と話す。

九州の新聞社が「九州の出身として経営に活かしたいことは?」と尋ね、「生まれは熊本、親が公務員だったため九州内で転勤が多く、文化が異なる環境に揉まれ、適応力が付いた」と笑顔で答えた吉田氏だが、平井氏と同じく非テクノロジー領域の人間が持ち味の"適応力"でソニーを更なる高みへと導けるか。

今、一番愛用している自社製品と語ったロボット「aibo」が成功するか否かが、ある意味で「吉田ソニー」の運命を握っているのかもしれない。

1月11日に発売された「aibo」
その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

連載バックナンバーはコチラ

関連記事
鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

カレー沢薫の時流漂流 第32回

鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

関連記事