コミケだけじゃない、東京五輪の見本市中止問題が多くを巻き込むヤバそうな現状

コミケだけじゃない、東京五輪の見本市中止問題が多くを巻き込むヤバそうな現状

2017.10.05

10月5日、東京都新宿区の新宿中央公園に、展示会産業に関わる多くの有志が集まった。東京五輪開催に合わせて実施される東京ビッグサイト(以下ビッグサイト)の使用制限。それに対する抗議デモのためである。

展示会産業で働く人々の生活と雇用を守る会のデモ行進。「ビッグサイトを使わせろ」とシュプレヒコールをあげ都庁周辺を行進した

ビッグサイトが使えなくなれば、仕事がなくなり、生活できなくなる。東京五輪の開催によって、とんでもない事態に陥りかねない人たちが大勢いるのだ。そして、この問題は、それらの人たちにとどまらず、さらに多くの人を巻き込む巨大なリスクも孕むようだ。

最長20カ月の使用制限

東京五輪の会期は2020年7月24日(開会式)から8月9日(閉会式)にかけて。五輪開催に合わせて見本市や展示会(以下、展示会)が開かれるビッグサイトの使用が制限される。

驚くべきは制限期間の長さだ。ビッグサイトの使用制限は20カ月にも及ぶからだ。2019年4月以降、翌年11月まで、ビッグサイトの約7割を占める東展示棟が閉鎖され利用不可となる。メディアセンターとして機能させるための工事(ネットワーク、電源、空調)、通信関連の工事とテストにかける期間、原状回復などのために長期間使用制限がかかるという。さらに、残された西展示棟、南展示棟(2019年6月建築完了予定)も2020年5月から9月までは閉鎖され、完全に施設が使えなくなる。

東京ビッグサイト。東展示棟が2019年4月から20カ月間閉鎖される

そもそもなぜ、ビッグサイトがメディアセンターとして使用されることになったかだが、詳しい経緯については"謎"のようだ。

業界関係者によると、2016年のオリンピック招致時にも東京都は立候補していたが、その際のメディアセンターは築地市場を移転した跡地とされていた。しかし、2020年の招致時にはビッグサイトがその役割を果たす方向で話が進んだ。コンパクトオリンピックという名目のもと、既存施設を利用することになったという。どうやら、対外的な説明はなく話が進んだようだ。その結果として、今、大問題になろうとしているのだ。

結果的に、世間ではコミックマーケットが開催できなくなるなどと騒がれたが、それは問題のひとつに過ぎない。冒頭で記したデモでの訴えのように、さらに深刻な問題がある。

仕事で関わる人の死活問題に

深刻な問題とは、展示会に関わる人には死活問題につながることだ。その影響について、東京ディスプレイ協同組合理事長の吉田守克氏は「展示会でのブース施工、電気工事、警備、人材派遣、清掃、印刷、宿泊、飲食など展示会の支援企業は深刻な悪影響を受ける。20カ月間の展示会中止・縮小によって延べ1600社が2300億円の売上を失い倒産が続出する」と警鐘を鳴らす。

それだけではない。展示会は"商談の場"である。先の吉田氏は「展示会に出展する中小・零細企業も営業や宣伝に莫大な費用をかけられず展示会を大いに活用している。展示会という販売手段によって新規顧客を開拓しているので商談の場がなくなる」とする。展示会に直接的に関連業界に携わるだけではなく、見本市を商談の場として捉える多くの中小企業に影響を及ぼし、経済に大打撃を食らう恐れがある。

その影響の大きさは莫大だ。日本展示会協会の試算によると、20カ月間で中止になる見本市は232本相当とし、出展できなくなる企業は78000社。商談の場が奪われることで喪失する売上は2兆700億円に達するとしている。

仮設展示場は不十分

もちろん対策がないわけではない。2019年4月からの制限にともない、東京都は仮設展示場を用意する。それでもデモが起こるのは対策が極めて不十分だからだ。

仮設展示場建設予定地

まず、仮設展示場は五輪開催期間も利用できるわけではない。2020年7月以降の3カ月は使用不可になる(後述するように一部緩和の方向)。

次に、施設についてだ。仮設展示場の面積はビッグサイトの4分の1程度に過ぎない。仮設展示場があっても、ビッグサイトの使用制限がかかるため、利用可能面積は今より減ってしまう。設備も不十分だ。「仮設展示場は出展製品を搬入するためのトラックヤードや、来場者の待機スペースといった、展示会場に不可欠な要素もなく非常に厳しい条件」と先の吉田氏は指摘する。

最後が仮設展示場とビッグサイトの距離について。両施設は約1.5km離れている。となれば、類似テーマを2会場で同時開催する分断開催の可能性も出るが、これに関しての懸念は尽きない。

そもそも、1.5kmも歩いて移動しようと思える人がどれだけいるかだ。いわずもがなだが、1施設あたりの来場者が減ることは必至。展示会の効果が薄まれば、出展社も減る。減れば展示会が成り立たない。最終的に競争力を失うという流れが見えてくる。こうした負のスパイラルの発生が強く想定されると、ある業界関係者は指摘する。

別会場でやるのもムリ

もうひとつ、東京ビッグサイトが無理なら、幕張メッセで開催すればいいのでは? といった疑問も出そうだ。しかし、この考えにも無理があるという。幕張メッセは五輪の競技会場となるため使用制限がかかるからだ。

それ以前の問題として、どこもスケジュールが過密化しており、東京ビッグサイトや幕張メッセなどに並ぶ展示会場の必要性が高いというのが業界関係者の見方だ。現時点でも、ある展示会が終わったら、即翌年の会場予約をしているような状況。新たなイベントが割って入る余地は少ないとする。

展示会場はどうやらパンパンのようだ。諸外国と比較しても圧倒的に足りないと、吉田氏も指摘する。「日本の展示会場総面積が35万平米、これはアメリカの20分の1、中国の15分の1、日本と国土面積がほぼ同じドイツの10分の1と慢性的に不足している」(吉田氏)。

まとめれば、日本は展示スペースが圧倒的に不足している状態だ。五輪開催によって、それがさらに縮小されようとしているわけだ。

日展協の要望とコンパクト五輪

こうした状況を打開すべく展示会産業の団体 日本展示会協会(以下、日展協)などが動いている。日展協は100を超える団体の賛同を得ながら、問題の解決を試みている。

その日展協が求めるのは、「ビッグサイトと同規模の仮設会場を首都圏へ建設すること」、もしくは「メディアセンターのビッグサイト以外への建設」だ。

この要望は根本的な解決案となるが、コンパクトでコストをかけない祭典を目指す東京五輪という考えにはマッチしそうにない。

しかしながら、ビッグサイトのメディアセンター化や五輪終了後の現状回復に要する費用、仮設展示場の建設費をはじめ、展示会の開催不可により生じる膨大な経済損失を考慮すると、大きなメリットがあると訴えているのだ。

日展協はこうした要望を過去に何度も出しているものの、事態はそれほど好転していない。9月末に東京都が発表した対策も、緩和策に過ぎなかった。ビッグサイトの4分の1の面積にとどまる仮設展示場の使用制限の一部緩和(2020年7月と9月に計35日間貸し出す)、様々な工夫により展示会場を提供する考えがあることを示した程度だったからだ。

両者にはまだ大きな隔たりがあるのが現状だ。ゆっくりと時間をかけて解決、といきたいところだが、実はタイムリミットが目前に迫っている。ビッグサイトの利用制限がかかるのは、2019年4月からとまだ先だが、会場の一年前予約を考慮すると、直接的な影響を受けるのは2018年4月開催の展示会から。抜本的解決を図るなら、2018年3月末までがタイムリミットとなる。

先にも述べたように、展示会産業に直接的に関わる人だけではなく、数多くの人・企業を巻き込むリスクがある切迫した問題となる。タイムリミットまでにひとりでも多く納得できる解決に近づけるだろうか。

エバンジェリストからアドボカシーへ、MicrosoftとIBMが進める開発者起点のIT変革

阿久津良和のITビジネス超前線 第7回

エバンジェリストからアドボカシーへ、MicrosoftとIBMが進める開発者起点のIT変革

2018.12.18

デジタルトランスフォーメーションは世界的な潮流

重要な役割を果たす「デベロッパー・アドボカシー」とは?

大きなデジタル変革、日本企業が”また”乗り遅れないために

昨今のIT企業では、「エバンジェリスト(伝道師)」ではなく「デベロッパー・アドボカシー」「デベロッパー・アドボケイト」という肩書きを目にすることが多い。本来は、その権利を代弁・擁護し、権利実現を支援する「アドボカシー(advocacy)」の実践者を指す言葉だが、昨今のデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)の潮流で欠かせないキーワードとなりつつある。今回は大手IT企業でアドボカシー職を務める2人の著名人に話をうかがった。

エバンジェリストからデベロッパー・アドボカシーへ

日本アイ・ビー・エム(以下、日本IBM)でデベロッパー・アドボカシー事業部を統括する大西彰氏は、エバンジェリストとデベロッパー・アドボカシーの違いについて次のように説明した。「エバンジェリストはテクノロジーとマーケティングのハイブリッドで、世界観や製品の良いところを1対大勢で主張する。デベロッパー・アドボカシーは現実の開発者と1対1で向き合う。例えば(機能が正しく)動作しないといった悩みに開発者と同じ目線で受け止め、その声を本社へフィードバックする」。つまりエバンジェリストもデベロッパー・アドボカシーも対する相手は顧客でありながら、その役割は似て非なる。

日本IBM デジタル・ビジネス・グループ デベロッパー・アドボカシー事業部 Tokyo City Leader(事業部長) 大西彰氏

日本マイクロソフト(日本法人)からマイクロソフトコーポレーション(本社)直属の組織に席を移し、デベロッパー・アドボカシー職を務める寺田佳央氏も同様の説明を行いつつ、「私の中では(エバンジェリストからデベロッパー・アドボカシーへ)肩書きが変わっても、取り組む内容や姿勢はさほど変わっていない。Javaを盛り上げる上でコミュニティと良好な関係を築くことが大切で、Javaエバンジェリスト時代から開発者との会話や交流をとても大切にしてきた」と振り返る。奇しくもその発言は大西氏も同様で、「本質は変わっていない。振り返ると日本マイクロソフトのエバンジェリスト時代もデベロッパー・アドボカシー的な活動だった」と語る。

マイクロソフト デベロッパー・リレーション クラウド+AI リージョナル・デベロッパー・アドボカシー 寺田佳央氏

ここから見えるのは、顧客に寄り添うという顧客ファースト視点を両者とも重視しており、その意識を具現化したのがデベロッパー・アドボカシーという役割なのだろう。

ここで両者の背景を説明したい。大西氏は日本マイクロソフトで約12年、エバンジェリストなどを務め、2017年10月から日本IBMに移籍。IBMは「本社CEOのGinni Rometty(ジニー・ロメッティ)やCDO(Chief Digital Officer)のBob Lord(ボブ・ロード)も開発者にコミットすることを明言」(大西氏)しているように、開発者への関与を強化し、現在約200名のデベロッパー・エコシステムグループで広域な情報発信や個別の重要顧客を支援する活動を行っている。同社は主要なビジネス拠点にリーダーを配置しているが、東京の拠点は少数精鋭でデベロッパー・アドボカシー、プログラムマネージャーらが活動中だ。

寺田氏のJavaに関する活動は、以前の日本オラクル時代から有名であったが、2015年7月に日本マイクロソフトへ移籍。とあるイベントへ参加した際、「以前のマイクロソフトとは大きく変わった」という印象を持ったのが最初で、さまざまな開発言語に積極的に対応したMicrosoft Azureの可能性に惹かれたことで籍を移したという。Unix や Java の文化しか知らない自分だからこそ、そして代表的なマイクロソフトの競合企業 (Sun Microsystems) に勤めていた自分だからこそ、大きく変わったマイクロソフトの今を伝えられると考えた。そして「『Microsoft Love OSS !!』のメッセージを日本全国の開発者・運用者の皆様にお届けしたい」(寺田氏のブログより言葉を抜粋)と自身の役割を語っていた。現在、寺田氏もマイクロソフトコーポレーション所属で、千代田まどか氏(ちょまど)と共に日本リージョン(地域)担当のアドボカシーとして活動している。

日本はやっぱり遅れ? デジタルトランスフォーメーション

さて、各社がデベロッパー・アドボカシーという役割を設ける理由だが、背景には世界的なDXの潮流が大きい。デジタルテクノロジーで企業の変革を起こすには、ソフトウェアによる最適化が必要だが、そのソフトウェアのコードを書く開発者は特に日本で軽視されがちだ。

ビジネスリーダーとソフトウェア開発者の両者が「両輪」となってサービス開発を共に進めるのが理想ながらも実現していない。トラディショナルな企業の縦割り構造や旧態依然の企業文化など、DXが進まない理由は多岐にわたるが、この状況について大西氏は、「専門家の皆さんは難しく語っているものの、とどのつまり『(1)無駄な時間を省いて、(2)最初に全体を判断し、(3)どこからでもアクセスできる』。この3つが重要」と指摘する。

他方で両社に共通するのがクラウドの存在だ。日本IBMは「IBM Cloud」、日本マイクロソフトは「Microsoft Azure」を持つプラットフォームベンダーだが、クラウドの主役はSaaSなどクラウド上で動作するサービスであり、サービスを開発する開発者が最重要となる。そのため日本IBMは、現実世界のシナリオに則したオープンソースのアプリケーション集「IBM Developer Code Patterns」を運営して、「開発者の目的にあったシナリオを見つけて頂き、素早く試してもらう道を作る」(大西氏)活動を続けてきた。また、2018年6月11日に開催したThink Japan IBM Code Dayには3,000人以上が来場。他社ベンダーも参加する同社としては史上初のイベントに対して、「古くからお付き合いのあるパートナー様からは『IBMも変わった』というポジティブなフィードバックを頂いた」(大西氏)。

このように開発者コミュニティに対する積極的な姿勢は、日本マイクロソフトも同様だ。日本マイクロソフトの年次イベントである、de:code や Tech Summitでは、WindowsやOffice、.NETと言った既存のマイクロソフト製品・技術のコミュニティやファンをとても大切にしながらも、さらに今では当たり前のようにOSS に関連したセッションも数多く行われている。また、寺田氏はMicrosoft MVPに代表されるインフルエンサー支援やコミュニティへ積極的に参加している。

そして寺田氏の今の活動には、デベロッパー・アドボカシーへ就任する前の経験が、大きな影響を与えていると言う。「2年ほど前までは、プレゼンで発表することが業務の中心だった。それが、昨年よりお客様の実ビジネスの課題を、目の前で直接解決していく“ハックフェスト”を実施するようになった。もちろんプレゼンはとても重要で今後も実施していく。しかし、テクノロジーの領域によっては、約1時間のセッションで伝えることが難しい技術もある。たとえば、Kubernetesのような、開発手法、運用方法、DevOps、マイクロサービスのように多岐にわたるノウハウが必要な技術だ。ハックフェストは、プレゼンより多くの時間を掛け、アーキテクチャや実際のコーディング内容を確認し、操作方法でつまずくポイントを詳細に説明できる。実際に参加されたお客様やコミュニティ・メンバーが短期間で著しい成長される姿を目の当たりにし、この取り組みは素晴らしいと感じたと共に、この体験が私自身も大きく成長させた。そしてアドボカシーになった今も、コミュニティに向けてハックフェストを実施している」と、開発者と同じ目線で語る重要性を力説する。

寺田氏はデベロッパー・アドボカシーとして、「私自身は顧客が幸せになることを考えて、顧客が作りたいシステムに関する情報や技術をお届けしたい。その結果として日本IT市場が前進する活動を続けたい」と抱負を語る。大西氏も「IBMはさまざまなテクノロジーにコミットしている。開発者に対してオープンであるイメージを伝えて『ファン』になって頂きたい。個人的には日本のDXを加速させるために顧客支援を続けていく」(大西氏)と述べ、コミュニティや顧客に対する支援と、日本企業のDX推進を目指す姿勢を示した。

各社は開発者起点のエコシステム拡大を展望

お二人の取材を通じて感じたのは、ソフトウェア開発者の重要性である。筆者も以前はプログラマーとして働いた経験を持つが、今思い返せば恵まれた環境とは言い難かった。各所で叫ばれているDXの本質はワークフローを最適化するサービスにあり、サービスを開発するソフトウェア開発者にある。それを理解しているIT企業は開発者起点のエコシステム拡大を踏まえて、デベロッパー・アドボカシーの活動を始めているのだろう。

阿久津良和(Cactus)

タイプフェイスデザイナーの発掘

1970年代。
時代は、さまざまなデザインの新書体を求めていた。

「デザイナーが書体をデザインをする」という、いまでは当たり前となった概念を、みずからの新しいデザインとともに打ち出したタイポスの登場は、そんな流れを一気に後押しした。

そうした流れと並行してスタートしたのが、写研による「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」だ。

第1回の授賞式は1970年(昭和45)5月18日、大日本インキビルの18階会場で行われた。コンテストのねらいについて、写研は〈このコンテストは、石井茂吉の遺志を生かし、新しい文字の創作を願って企画されたもので埋もれたタイプフェイスデザイナーを発掘し、若い人たちの文字への関心を高め、タイプフェイスデザインの発表の場を与える〉ものだと記している。(*1)

応募要項は前年に発表され、締切の1970年1月末日までに118点の応募があった。第1回審査は、原弘氏を委員長に、田中一光氏、細谷巖氏、小池光三氏、小柏又三郎氏、写研社長の石井裕子氏を委員として行われた。

課題の文字をどう選ぶか

応募要項づくりの中心になったのが橋本さんだった。

「石井賞創作タイプフェイスコンテストの募集を開始したのが、1969年(昭和44)頃だったと思います。この準備がとても大変でした。どんな文字を課題にするのか、どんなフォームで募集するのかが悩みの種でした。(書体に必要な文字を)2000字書いて応募してください、というわけにもいかないですから」

検討の末、入賞作品が決まった後に展示会が行えるよう、応募作品はパネル1枚にまとめてもらうことにした。1枚のなかに、ひらがな、カタカナ各48字と記号、そして漢字をおさめなくてはならない。そう考えると、応募作品に掲載できる漢字は50字ほどだった。その文字によって書体の出来を判断するのだから、適当に選ぶわけにはいかない。

「写研の写植機で用いる文字盤には、印字する文字を効率よく拾えるよう、『一寸ノ巾』と呼ばれる独自の配列方法を用いています。ふつう漢和辞典では部首別とか音訓別で漢字が並べられていますが、『一寸ノ巾』配列は、部首や画数、音訓で並べるのではなく、形状で漢字を探し出せるよう工夫された配列でした」

「一寸の巾」の基本の見出しは、次のように並べられている。この51種類の基本見出しによって漢字を分類しているのが「一寸ノ巾」基本配列だ。次のように、語呂合わせで覚えられるようになっている。

一寸ノ巾亠辶ワ匚刀ヌク人
厂ハ山阝大小女子口言心手
弓ト片戈四目糸艸虫羽竹里
辛車臼門犬足馬骨
日月火水木金土

いっすんのはば なべぶたしんにゅうははこがまえ かたなぬくひと
かりはやまさと だいしょうのじょし くちいいこころにて
ゆみとかたほこ よつめいとくさ むしのはねたけのさと
しんしゃきゅうもん いぬのあしうまのほね
しちよう

「この基本見出しの数が51なので、それをある程度網羅できるように考えながら、漢字50字を選びだしたんです」

こうして、漢字・ひらがな・カタカナ・数字・記号をあわせて176字がコンテストの課題となった(第3回からは、応募部門を従来どおりの内容の和文部門、欧文部門、約物・記号部門の3つに分けた)。その内容は、次のとおりだ。

石井賞・創作タイプフェイスコンテスト課題。第2回応募要項より

1970年に発表された、記念すべき第1回目の第1位に輝いたのは、名古屋の中村征宏氏による「細丸ゴシック」だった。この書体は、のちに写研から「ナール」として文字盤が発売され、一世を風靡した。

第1回石井賞創作タイプフェイスコンテストで1位になった中村征宏氏の「細丸ゴシック(のちのナール)」『写研19』(写真植字研究所「写研」編集室、1970年5月)

第2回コンテストの応募要項には、〈第一回の応募作品を概括してみると、ボディタイプ(本文用文字)が圧倒的に多く、ディスプレイタイプ(出版物や広告の見出し用文字)は少なかったようです。ボディタイプだけでなく、ディスプレイタイプの作品がもっと出されることが各界より望まれています〉と書かれている。(*2)

「これ以降、石井賞創作タイプフェイスコンテストから、多彩なデザインの書体が生まれ、発売されました。それはもう画期的な書体の数々でしたから、写研は『よい書体を数多くつくっている会社』と強く印象づけられていきました。書体のデザイン化が加速し、写研は2年に一度、写研フェアという展示会を開いて、次々と『新書体』を発表するようになっていったのです」 (つづく)

(注)
*1:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975)P.125

*2:「第2回石井賞創作タイプフェイスコンテスト」応募要項『写研22』(写真植字研究所「写研」編集室、1971年4月)P.22

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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