世界シェア7割、中国ドローンメーカーが大切にする3つのコア

世界シェア7割、中国ドローンメーカーが大切にする3つのコア

2017.10.26

DJIという会社をご存知だろうか? いわゆる「ドローン」の個人向け製品で世界シェアの約7割を握る企業で、中国・深センで2006年に創業した。当初は「フライトコントローラー」と呼ばれるドローンを安定航行させるための制御システムの開発に注力していたが、2011年にドローン「Phantom」を発売、あっという間に市場を席巻した。

「ただ単にドローンの機体を飛行させるだけであれば簡単。しかし、安全で簡単に、そして良質な映像を撮影できるドローンとなればそれは難しい。その3つの要素が揃っているから、DJIは支持されていると思う」

こう語るのは、DJIのコミュニケーショントップのKevin On氏。DJIは、創業時から「複雑な技術をなるべく簡単に使えるよう、簡素化して届けることをミッションにしてきた」(On氏)。プロのカメラマン、わかる人だけにわかる操作方法ではなく、誰にでも使えるようにしたことで、今日のDJIがあるというわけだ。

DJI コミュニケーション ディレクター Kevin On氏(画像提供 : DJI)

自社ですべてを作り出すDJI

On氏はDJIが他社とは違うユニークなコアが3つあると話す。それは「内製化」と「人材の資源」「同じことをやらない」ということ。

11年前に20名で始まった会社は、グローバルで1万1000名にまで成長した。全従業員のうち25%がエンジニアであり、日本や米シリコンバレーにも一部開発拠点を持つが、本拠地の深センにR&Dセンターから工場、営業部隊を一気通貫で管理できる本社がある。

「全従業員の25%がエンジニア」というのは一見少なく見えるかもしれない。しかし、日本の2015年度国勢調査によれば、製造業における専門的・技術的職業従事者は全従業員に対して約8.3%(e-Statのデータを引用、就業状態等基本集計より)であり、およそ3倍にも達する。もちろん、統計調査と1社単独の直接的な比較はできないが、それでもかなりのエンジニアを抱えていることには変わりない。

「イノベーションの活力は、深センという新しいことが急激なスピードで生まれている場所だからこそ、というものもある。だが、私たちは『イノベーションは人から生まれる』という考えのもとに仕事をしている。ドローンという新しい産業だからエンジニアを魅了できているのかもしれないが、とにかく『もっと何かできることがあるんじゃないか』という伸びしろを求めて開発に注力できている」(On氏)

技術を外部に依存することなく自社に蓄え、外部から来た人材との化学変化を期待する。「『こういう経験があります』『マネジメント経験はこうです』といった話ではなく、『新しいアイデアをこう実現したい』という人が多い。バックグラウンドは関係ない多様性に富んだ人材がいる」(On氏)というように、年齢やバックグラウンドではなく、どういうモチベーションでアイデアを実現するのか、そこにフォーカスするのがDJIの強みだというのだ。

また、最後の「同じことをやるな」では既存の枠組みだけでなく、常に新しいアイデアの模索を続けるべきということを経営幹部が常々口にしているそうだ。その一例が同社のスタビライザー付きカメラ「Osmo」だ。この機器は、もともとドローンでブレなく映像撮影するために開発したスタビライザーだった。

DJI Osmo(画像提供 : DJI)

しかし、これが手ブレにも高い適応性を示したことから機構を切り出してスピンアウト。カメラだけでなくスマートフォンや一眼カメラなどと組み合わせるカメラジンバルの「Ronin」にまで派生し、またたく間に市場で地位を高めた。

「R&Dから生産、販売までを深センですべて見ていることで、PDCAサイクルを非常に早く回せる。それは、ドローンが従来行っていたカメラ撮影だけでなく、農薬散布や人命救助、インフラ点検など、業界別ソリューションの開発にも繋がっている。Bootstrapping(ブートストラッピング、助力なしで自力で改善・改良する意味)によって高い技術力を維持できた。これこそが他社を引き離せた11年の成果だと思う」(On氏)

もちろん、DJIにも課題はある。現状のドローンは日々の改良があってもバッテリー上の制約、搭載貨物重量の限界、カメラの映像データを活用したインテリジェンス機能の限界から、「世界中のどこでも、誰もが使える」というレベルには至っていない。

「日本に限らず世界中で、ドローンを活用する分野・事例のイメージがまだまだ湧いていないと思う。今はある程度のレベルに達しており、『どうやったら仕事を効率化できるか』『人の命をどう救えるか』を考え、知るための準備期間。その期間だからこそ、私たちは新しい技術をツールとして提供し、企業や消費者がそれをどう使うべきか、考えてもらえればと思う。ドローンの可能性は、すなわち利用する人たちのイマジネーション次第ではないか」(On氏)

技術的制約は自分たちの手で解決していく。むしろ、その成長過程を見守り、ロードマップの先にどう活用できる未来を描けるかがドローンの未来を作るというのがOn氏の考え方だ。「投げっぱなし」にも思えるが、それはスマートフォンのビジネスモデルに近しい部分がある。

スマートフォンはあくまでディスプレイとカメラとOSを手のひらサイズに押し込んだ「ミニPC」。それが、「手のひらにPCがあれば何ができるのか」を真剣に考えたアプリ開発者たちの手によって、エコシステムが回り出し、世界中で使われる存在になった。iOSやAndroid OSは、あくまで世界を広げる「場」を提供したに過ぎないのだ。

現状のドローンは各国の法規制からどこでも、誰もが簡単に飛ばせるわけではない。また、前述の課題だけでなく、飛行時の騒音や将来的には管制システムによる地域制御といった問題が生じるとも予測されている。それでもDJIは技術的課題を一つずつクリアしてドローンの可能性を広げようとする。この姿勢こそが、次の「グローバル・スタンダード」へと繋がるのではないかと感じた。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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