六本木ステーキ戦線に異状あり! NY発「エンパイア」上陸で混戦模様に

六本木ステーキ戦線に異状あり! NY発「エンパイア」上陸で混戦模様に

2017.09.05

ステーキハウスひしめく六本木に10月17日、新たなプレイヤーが参入する。米国産アンガスビーフを熟成肉に仕上げ、食欲をそそる独特のナッツ臭を漂わせつつニューヨーク・マンハッタンから上陸する新興勢力、その名も「エンパイアステーキハウス」だ。六本木を舞台に勃発した、肉汁で肉汁を洗うステーキ戦争も、いよいよ混迷の度合いを増してきた。

ニューヨークのステーキハウス「エンパイア」が六本木に上陸

ピータールーガーの流れを汲む本格派が日本1号店

エンパイアは、ジャック、ジェフ、ラスのシナナジ兄弟が2010年に立ち上げたステーキハウス。兄弟はブルックリンにある1889年創業のステーキハウス「ピータールーガー」で合算25年以上の修行を積み、マンハッタンに自分たちの店を開いた。現在は5番街とミッドタウンイーストに2店舗を構え、全米No.1のレストランガイド「ザガット・サーベイ」に掲載されるなど、ステーキの激戦区であるニューヨークでも名の通った存在になっているという。

本場のエンパイアはこのような感じ。六本木店は10月17日にオープンする

そのエンパイアが、六本木に日本1号店をオープンする。「ウルフギャング・ステーキハウス」「ベンジャミンステーキハウス」「アウトバックステーキハウス」など、店舗が飽和状態でステーキ戦争の様相を呈する六本木だが、エンパイア上陸で戦局に変化は見られるのだろうか。過日行われたエンパイアの試食会をレポートしつつ、その魅力と可能性を探ってみたい。

熟成肉と非熟成肉の食べ比べ体験

米国のステーキといえば、どんなものを思い浮かべるだろうか。おそらく多くの消費者は、大きくて、スパイスが沢山かかっていて、硬い肉というイメージを持っているのではないだろうか。ボリュームは満点だが、厚みのある肉にしっかりと焼きを入れようとすれば、自ずから外側はしっかりと焦げ目がついてくる。少しでも柔らかい肉を食べようとミディアムレアで注文すると、どちらかといえば、血の滴る草履のような肉が皿に乗って出てくる。偏見かもしれないが、こんな印象がある。

しかし、エンパイアで提供される実際のアメリカンステーキは、このイメージを良い意味で裏切ってくれる。

米国からアンガス牛をチルド輸送、等級は最高位

エンパイアが使用するのは、米国からチルド輸送で取り寄せるアンガス牛だ。肉の品質は、米国農務省(USDA)の等級でプライム(最高位)を獲得したもの。これを店舗でドライエイジングし、ステーキで提供する。

一目瞭然だが、右が熟成肉だ

比較として先に試食した「非熟成肉」は外側に焦げ目が多く、肉の外側と内側の食感や柔らかさが大きく異なる印象を受けた。

熟成肉を試食したとき、誰でもわかる非熟成肉との大きな違いに気が付いた。大きな違いというよりは、全く違う肉ではないかという印象だ。この違いは、エイジングにより肉の含有水分量が減ることで、焼き入れによって柔らかく、味わい深いステーキに仕上がったゆえの変化なのではないかと思われる。外側がカリカリではなく、全体がやわらかい。そして咀嚼するたびに、口の中にうまみが広がってくる。のどの奥に送り込むことを躊躇するほどで、まだまだ口の中で味わっていたいという指令が脳から送られているような感覚すら覚えたほどだ。

熟成と非熟成の違いを感じた試食会。熟成肉は独特のナッツ臭も特徴だ

エンパイアの日本展開を進めるのは、飲食店の業態開発や店舗運営を手掛けるTFMという会社。同社の小柳津競介社長が提携交渉のため渡米し、エンパイアのステーキを食べた時には衝撃を受けたそうだ。まずは、とにかくおいしかった。肉を扱う店舗を運営している小柳津氏だが、エンパイアでは今までに食べたことのない肉に出会ったという。

そして、エンパイアではオーナーの思いの強さにも心を打たれた。移民として渡米し、アメリカンドリームをつかんだシナナジ兄弟。この人たちと仕事をしたいと感じた衝動が、「エンパイアステーキハウス六本木」の誕生につながったという。

エンパイアが提供する価値とは

エイジングビーフ(熟成肉)は近年、日本でも流行している。肉を熟成させることで、新たなうまみを醸し出すという触れ込みだ。熟成の方法は店舗ごとに異なる。

実のところ、熟成肉の定義は定まっていない。それゆえ、店舗ごとに技術と腕を競ってオリジナルの熟成を施し、客に提供している。熟成を施した肉を専門店から納品し、焼きで価値を提供する店もあれば、店舗で熟成させて、客の好みに合わせて提供する店もある。エンパイアの提供する熟成肉は、「店舗熟成」を基本にドライエイジングを施す予定だ。

店のコンセプトは、ずばり「NYにあるエンパイアの再現」であり、「本物のNYスタイルを楽しんで欲しい」とのこと。

TFMの小柳津社長

本場エンパイアは入りやすくモダンなステーキハウスをコンセプトとしているそうで、六本木店も敷居の高い高級ステーキ店を目指すわけではない。今回の店舗で、高級と称される飲食店が軒を並べる「銀座」などではなく「六本木」を選択したことも、入りやすい店舗を前提とした立地なのだという。

アメリカンステーキや熟成肉を看板メニューとする競合店舗は数多く存在する。特に六本木は、その傾向が顕著な地域の1つだ。その中でどう消費者に訴求し、支持を得ていくのか。小柳津社長は店舗熟成の肉で「うまみ、やわらかさ、フレーバー、そして濃い味」を感じてほしい、アメリカ牛の新しい味わいを提供していきたいと語る。

エンパイアが提供するバリューで、現在までに分かっていることは、①店舗で熟成するアンガスビーフと、②熟成肉を引き立てるワインの品ぞろえだ。店舗の内装については、今回は紹介がなかった。つまり、ソフトの面である「熟成肉」については先行発表されたが、ハードとしての店舗(内装、空間の使い方、環境の構成など)については、オープン時のレセプションまで待つことになる。

価格と体験のバランスは

さて、問題は価格だが、看板メニューとなる「ポーターハウスステーキ」は2人前で1万6000円。NYエンパイアステーキハウスのオリジナル商品である「エンペラーステーキ」については、2~3人前で2万4000円だ。やはり、普段使いの金額を上回っている印象だが、普段使いではない店舗だというのであれば、どのような場面で利用するのかという「提供される店舗体験(エクスペリエンス)」が、消費者目線で見た場合に、エンパイアを選ぶかどうかのポイントとなるのではないだろうか。

エンパイアにはシーフードメニューもある(画像はニューヨーク店舗のメニュー)

体験という意味で、エンペラーステーキは注目すべきメニューと言える。これは450グラムのTボーンステーキなのだが、なんとサーロインとシャトーブリアンの両方を楽しむことのできる超ゴージャスなステーキなのだ。3人であれば1人あたり8000円で、大きさだけでなく品質も最高級の肉の食べ比べという異次元体験ができるのであれば、これも大きな魅力の1つになるだろう。

六本木は老舗ステーキハウス代理戦争の様相

1人あたり8000円という価格は、実は六本木ステーキ戦争において驚くべき設定ではない。ウルフギャングもベンジャミンも、2人前1万6000円という価格設定になっているので、エンパイアは競合店と横並びの価格を提示していることになる。

むしろ驚くべきは、ウルフギャング、ベンジャミン、エンパイアの3店が、ルーツをたどれば「ピータールーガー」に行きつくこと。偶然ではないかもしれないが、ピータールーガーで腕を磨き競いあった職人たちが、ここ六本木で相まみえることになるとは、誰が想像できたであろう。

相応の金額を払えば、おいしい熟成肉を食べられるステーキハウスが、六本木にまた1つ増えることは消費者にとって喜ばしいことである。ただし、普通に考えると月に何度も訪問できる価格帯の店ではないので、これからは、例えば年に一度の記念日などに選ばれるための情報発信が不可欠になるだろう。すでに知名度ではウルフギャングが頭1つ抜け出している印象だが、エンパイアはキャッチアップできるだろうか。まずは早耳の肉好きが同店を訪れるだろうが、そこから口コミで評判が広がるかどうかが鍵となる。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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