マツダ「CX-8」が対峙する“ミニバンの歴史”と“ディーゼル逆風”

マツダ「CX-8」が対峙する“ミニバンの歴史”と“ディーゼル逆風”

2017.09.22

マツダが3列シートのクロスオーバーSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)「CX-8」を発表、12月14日の発売に向け予約販売を開始した。相手にするのは日本市場で独自の歴史を経て発展したミニバン市場。搭載するのは世界的に逆風が吹くディーゼルエンジンだ。

マツダの小飼雅道社長は「新型CX-8は、マツダ長期ビジョンの柱でもあるクルマ本来の魅力“走る歓び”を追求した国内向けSUVラインアップの最上位モデルであり、新しいライフスタイルをお求めになるお客様とともに、新しい市場を創っていきたいという意気込みで開発したクルマだ」と国内での新市場開拓に意欲を示す。

マツダの「CX-8」

安全面に先進技術、マツダ独自の思想も盛り込む

この「CX-8」は、マツダの日本国内市場向けクロスオーバーSUVシリーズの最上級モデルであり、同社が多人数乗用車の新たな選択肢として提案する3列シート車となる。搭載するのは、マツダが独自に進化させたクリーンディーゼルエンジン「SKYACTIV(スカイアクティブ)-D 2.2」だ。

先進安全技術「i-ACTIVSENSE(アイ・アクティブセンス)」も標準装備する。新開発の360度ビュー・モニターでは、死角や障害物との距離を目視で確認可能。危機回避操作もサポートしてくれる。後面衝突時に3列目乗員を保護するための剛性も確保した。

衝突時の安全という観点では、アクティブボンネットを標準装備するなど、マツダ独自の安全思想を盛り込む。アクティブボンネットとは、歩行者との衝突を検知した瞬間にボンネット後端を約100mm持ち上げ、エンジンとの間に空間を作ることで、歩行者への衝撃を緩和する機能だ。

安全面でもマツダらしい技術を取り入れるCX-8

次世代車投入が間近、CX-8で前哨戦

マツダは、2010年から独自のものづくり革新によるスカイアクティブ技術を世に出し、存在感を打ち出してきた。先の8月8日には2030年を見据えた長期ビジョン「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言2030」を公表。2019年からの次世代技術導入プランを発表している。

それによると、2019年からはマツダが世界で初めて圧縮着火を実用化した次世代エンジン「SKYACTIV-X」搭載車を世に出す。一方でディーゼルもさらに進化させ、2020年には「SKYACTIV-D GEN2」を投入する予定。2019年からはマイルドハイブリッド車にプラスしてトヨタ自動車と共同開発するバッテリーEVもラインアップし、内燃機関の進化と電動化展開を併用していく方針だ。

マツダとしては、こうした次世代車開発投入計画の前哨戦として、クリーンディーゼル搭載の3列シートSUV「CX-8」を市場投入することで、「走る歓び、顧客との強い絆づくり」というマツダらしさの存在感をアピールすることになる。

マツダは「CX-8」の投入でミニバン「プレマシー」「ビアンテ」の生産販売を切り替える。「マツダとしては、SUV固有の1人で運転する楽しみを多人数乗りの3列シート車でチャレンジする」(小飼社長)方針のもと、国内SUVラインアップの最上級車を設定することで、ミニバンからの撤退を決めたわけである。

CX-8を投入し、ミニバン生産から撤退するマツダ

日本で独自の発展を遂げたミニバン市場

国内乗用車市場の変遷を見ると、かつての高度成長期のモータリゼーション進展時代は、セダンが軽乗用車あるいは大衆車から高級車へ上級移行し、幅広いセダン需要が主流だった。

それが1990年代に入ると、皮肉にも日本のバブル景気が終焉し、人々はモノの豊かさより心の豊かさを重視するようになり、自己表現として余暇活動を強く求めるようになった。いわゆる「アウトドアブーム」である。

クルマもRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームが到来、欧米で主流だったオートキャンプが日本でも花開いたのが1990年代に入ってからである。家族でオートキャンプなどに出掛けられるRVが一気に日本の自動車市場の主役に躍り出たのだ。

RVとは当時、ミニバン、ステーションワゴン、SUV、ジープタイプなどの総称だった。日本のRV市場は1994年に100万台、1997年には200万台を超え、1990年代後半には新車需要の5割以上をRVが占めた。RVの中でも主流はミニバンだった。ワンボックスといわれた貨物バンから乗用バンとして開発されたミニバンは、7人乗り、8人乗りの多目的乗用車として需要の中心となっていった。

各社がミニバン開発を加速、実はマツダがパイオニア?

自動車各社もミニバンの開発・投入を積極的に展開した。当時、マツダはMPV(マルチ・パーパス・ビークル)を米国(1988年)に続き日本にも1990年に投入し、「マツダはMPVでミニバンのパイオニアだった」(小飼社長)歴史もある。

3代目「MPV」

また、ホンダは1994年に初代「オデッセイ」を市場投入したが、「アコード」のプラットフォームを活用したこのミニバンモデルが当時厳しい業績に喘いでいたホンダの救世主となったのは周知の事実である。また、トヨタの「エスティマ」も、その卵形のフォルムでミニバンの代表的モデルとしてベストセラーとなった。

実は筆者は、1970年代前半に日本オートキャンプ協会を取材して以来、その頃から家族でオートキャンプを楽しんでいたが、1990年代に入り、セダンからの乗り換えでミニバンを愛車とし、ミニバンの多目的活用を実践していたユーザーでもある。だが、2000年代以降はRVブームがやや下火となり、最近ではSUVが主流になりつつある。

それでもミニバンは、トヨタ、ホンダ、日産自動車の大手が幅広い車種で競っている。その中で、マツダはミニバン生産からSUVシリーズの拡充に考え方を切り替えて、最上級車CX-8でミニバン需要吸収を狙う戦略に打って出たのである。

あえてディーゼルを搭載、WLTCモードの燃費も併記

それも電動化のハイブリッドではなく、独自のスカイアクティブ技術を落としこんだ、クリーンディーゼルエンジン搭載の3列シート車の設定である。マツダは「地球環境保全へCO2を大幅低減したマツダのSKYACTIV-D 2.2は、大トルクと静粛性の改善でガソリン車と遜色ない。今後の欧州規制強化もクリアできる自信がある」(小飼社長)とし、ディーゼルエンジンへの向かい風にも動じる様子はない。

日本国内市場における最近の需要構造は家族構成と共に変化している一方、多人数乗りへの要望と高級車志向の流れもあるため、マツダはSUVラインアップの拡充で対応することとした。最上級SUVモデルではコスト、燃費、排ガス、軽量化のいずれも改善し、3列シートへの工夫も施したとしている。

高級車志向の顧客にも訴求したいCX-8

また、クリーンディーゼルエンジン「SKYACTIV-D 2.2」については、新たな「WLTCモード」燃費(詳しくはこちら)と従来の「JC08モード」燃費を併記し、より実燃費に近いカタログ燃費を示した。それによると、1リッターあたりの燃費はWLTCモードで市街地12.5キロ、郊外15.3キロ、高速道路18.0キロとなっている。さらに、72リッターの燃料タンク容量により、東京~九州間を給油なしで走りきる1,137キロの航続距離も実現させている。

ディーゼル逆風はむしろチャンス?

欧州では、ディーゼル排ガス不正問題から電動化、EV転換を宣言したフォルクスワーゲン(VW)を筆頭に、ディーゼルエンジン主流から電動化戦略に切り替える自動車メーカーが続出している。

しかしマツダは、こうした逆風下においてもクリーンディーゼルエンジンに自信を持って臨む姿勢を変えておらず、むしろ「SKYACTIV-D」をアピールするチャンスと捉えているのだ。

ディーゼル逆風とも言われる現状は、マツダがクリーンディーゼルエンジンの真価を示すチャンスかもしれない

マツダの次世代車戦略における電動化の位置づけを見ると、2019年からはマイルドハイブリッドと並存させる形で、トヨタと共同開発するバッテリーEVの新投入を予定するなど、トヨタとの資本提携をいかしたプランを公表している。しかし一方で、マツダのDNAとする内燃機関の進化にもこだわり、内燃機関の進化(深化)版を投入する二面作戦を計画している。

その方向からも、今回の「マツダの手作り3列シートSUVディーゼル車」による国内市場開拓の動向が注目されることになる。

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。