もはや敵視せず、MVNOに力を入れ始めたドコモとKDDI

もはや敵視せず、MVNOに力を入れ始めたドコモとKDDI

2016.05.24

KDDI代表取締役社長の田中孝司氏が、5月12日の決算説明会でMVNO(仮想移動体通信事業者)に関して「もっとやっていかないといけない」と発言するなど、これまでMVNOを"敵"とみなしてきたキャリアが、最近、逆にMVNOに力を入れようという動きを見せつつある。そこには市場環境の急速な変化と、低価格を求めるユーザーに向けた競争の加速が大きく影響している。

大手キャリアがMVNO向けの取り組みを積極化

大手キャリアから回線を借りてサービスを提供することで、格安な料金でスマートフォンが利用できることから大きな注目を集めるようになったMVNO。これまでMVNOは、キャリアと同じサービスを安価に提供することから、大手キャリアの“敵”として認識されてきた。だがどうも最近の動向を見ると、その風向きが変わりつつあるようだ。

携帯電話業界の動向をウォッチしていると、MVNOに対するキャリアの姿勢が変化していることを象徴する出来事が、いくつか起きているのが分かる。例えば5月12日のKDDI決算説明会では、同社の代表取締役社長が記者の質問に答える形で、「MVNOがかなりの速度で伸びている。この分野はグループ会社のUQコミュニケーションズが展開しているが、そうしたエリアでももっと頑張っていかないといけないという課題の認識はある」と話しており、今後MVNOの取り組みに力を入れる考えを示している。

KDDIの田中社長は5月12日の決算説明会で、MVNOに関して「もっと頑張っていかないといけない」と話している

より積極的な取り組みを見せているのがNTTドコモだ。同社は今年の4月より、従来同社のスマートフォンのみでしか利用できなかった、おサイフケータイ対応スマートフォンで決済ができるサービス「iD」を、ドコモ系のMVNOと、FeliCaを搭載したスマートフォンの組み合わせでも利用できるよう変更を加えている。

さらにドコモは、「dTV」「dヒッツ」「dマガジン」といった「dマーケット」の人気コンテンツを、インターネットイニシアティブ(IIJ)やビッグローブ、プラスワン・マーケティング(FREETEL)など、やはりドコモの回線を用いたMVNO経由で提供する取り組みも実施している。dマーケットのサービスは基本的にキャリアフリーで利用できるが、それを従来ライバルと見られていたMVNO経由で提供するというのは、やはりドコモがMVNOに対し、何らかの方針転換をしたと見ることができるだろう。

5月17日の「FREETEL World 2016」より。FREETELはドコモの「dマーケット」の主要3サービスに関して販売連携をしている

こうした一連の動きを見ると、ある意味大手キャリアがMVNOを敵ではなく、味方とみなしてMVNOを活用しようとしているようにも感じる。では一体なぜ、大手キャリアはMVNOを敵視するのではなく、有効活用するよう戦略を切り替えたのだろうか。

MVNOの見方を変えた携帯電話市場の激変

そもそも、これまでなぜ、キャリアはMVNOを敵として認識していたのだろうか。その理由は、MVNOがキャリアからユーザーを奪うことで、キャリアが得られる1人当たりの客単価が下がってしまうからである。

例えば、これまでドコモの回線を直接契約していたユーザーが、ドコモの回線を借りているMVNOに乗り換えたとする。このことは、ドコモにとっては毎月数千円支払ってくれるユーザーを1人失うこととなり、MVNO経由の契約でドコモが得られる収入も、MVNOが回線を借りるのに支払う接続料のみとなってしまう。

売上がゼロになるわけではないものの、1人から得られる売上は大きく下がってしまう。そうしたことから、MVNOへユーザーが流出することは、キャリアにとってデメリットになると見られており、それがMVNOを敵視する動きへとつながっていたわけだ。にもかかわらず、キャリアがMVNOを味方として活用するようになったのには、「携帯電話の料金その他の提供条件に関するタスクフォース」など、ここ最近の総務省の施策による市場変化が大きく影響している。

一連の総務省の施策によって、昨年にはSIMロック解除義務化、今年には端末の実質0円販売が事実上できなくなるなど、最近携帯電話市場に大きな変化が起きている。そしてこのことは、5万円、10万円といった高額キャッシュバックなど、端末の過剰な値引きによって他キャリアのユーザーを乗り換えさせる、奪い合い競争が終焉を迎えたことも同時に意味している。

昨年の総務省タスクフォースの結果を受け、4月より端末割引に関するガイドラインを制定したことで、端末の大幅な値引き販売が事実上できなくなった

日本の人口は減少傾向にあることから、携帯電話を利用するユーザーが大きく増えることは考えにくい。加えて総務省の施策によって、キャリア間のユーザー奪い合いも停滞しつつある。それゆえキャリアはユーザー獲得に重点を置く戦略から、現在抱えている自社ユーザーに対して付加価値を提供し、1人当たりの単価を高める戦略へと大きく舵を切っている。ドコモの「スマートライフ事業」や、KDDIの「auライフデザイン」など、自社ユーザーに対して通信以外のサービスを提供する取り組みは、そうした付加価値戦略の象徴といえるだろう。

ドコモは、自社の顧客基盤を活用して付加価値サービスを提供する「スマートライフ事業」に力を入れ、業績を向上させている

しかし当然ながら、この戦略にマッチしないユーザーもいる。それは、付加価値サービスよりも、スマートフォンで快適な通信を、より安く利用したいと考えている人たちだ。そうしたユーザーは現在のキャリアの付加価値戦略に不満を抱き、今後MVNOなどに流出する可能性が高いと考えられる。

低価格帯を巡るキャリア同士の“代理戦争”が熾烈に

従来であれば、キャリアもそうしたユーザーを繋ぎ止めるための施策に積極的に動いていたかもしれない。だが現在、キャリアは客単価を上げることを重視しているため、シンプルに低価格を求める人達が増えることは逆に減収要因へとつながることから、無理にキャリア内にとどめようとしなくなってきている。ドコモが2年縛りの緩和に関連して、新たに「フリープラン」を提供することで、2年経過後は自由に解約できる仕組みを用意したのも、そうしたキャリア側の考えを象徴しているだろう。

その代わりの受け皿として、キャリアが活用しようとしているのがMVNOである。低価格を求めるユーザーを自社にとどめることはリスク要因となるが、自社回線を用いたMVNOに流出させれば、接続料などで無理なく収益を得ることができる。加えて、ドコモのように自社サービスをMVNO経由で提供すれば、他キャリアにユーザーを流出させることなく、自社の回線とサービス利用を維持させることにもつながる。

それだけに今後は、キャリアから流出した低価格を求めるユーザーを、どのキャリアの回線を用いたMVNOが獲得するかという競争が加速すると考えられる。ドコモは多くのMVNOが同社の回線を用いているため、それらを活用した施策を打ってくるだろうし、KDDIであればUQコミュニケーションズが、KDDIのMVNOとして展開している「UQ mobile」を積極活用するものと見られる。

「LINEモバイル」などドコモの回線を用いたMVNOは現在も増えている。ドコモはこうしたMVNOを、低価格を求めるユーザーの受け皿として考えているようだ

またソフトバンクは、純粋なMVNOではないが、サブブランドとして展開している「ワイモバイル」で低価格の料金プランを提供している。最近では「iPhone 5s」を販売するなど、端末のバリエーションを増やして攻めの姿勢をとり、低価格を求めるユーザーに積極的な訴求を進めているようだ。

ソフトバンクは高付加価値を求めるユーザーをソフトバンクブランドで、低価格を求めるユーザーをワイモバイルブランドで獲得する方針を示している

今後、高付加価値を提供する大手キャリア同士の直接競争は、見た目上停滞すると見られている。だが一方で、各キャリアがMVNOやサブブランドに力を入れることでよって、低価格層を巡るキャリアの"代理戦争"が激化すると考えられる。それだけに今年は、低価格層向け戦略がキャリアの勢いを大きく左右することとなりそうだ。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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