レース挑戦の理由は? 佐藤琢磨のインディ500制覇に見るホンダのDNA

レース挑戦の理由は? 佐藤琢磨のインディ500制覇に見るホンダのDNA

2017.06.07

佐藤琢磨選手が「インディ500」で日本人初優勝を成し遂げた。佐藤選手のマシンにエンジンを供給したのが本田技研工業だ。自動車メーカー、とりわけホンダにとって、モータースポーツに挑戦することはどういう意味を持つのか。これを機に考えてみたい。

インディ500で日本人初優勝の快挙を成し遂げた佐藤選手

技術と人を磨くレース活動

5月の最終日曜日、米国で開催された「第101回インディアナポリス500(インディ500)」において、佐藤琢磨選手が日本人ドライバーとして初優勝を果たした。佐藤選手のマシンにエンジンとエアロキットを供給したホンダは、執行役員でブランド・コミュニケーション本部長を務める森山克英氏を通じて、「世界3大レースのひとつであるインディ500で日本人初優勝という快挙を成し遂げた琢磨選手と、応援して下さっているファンの皆様に心より感謝を申し上げるとともに、この快挙達成の喜びを分かち合いたい」とコメントした。

「そしてホンダとして、琢磨選手のレーシングドライバーとしてのキャリアと共に歩み続けてこられたことを大変誇りに思います。今回のインディ500制覇により、世界のモータースポーツ界に大きな足跡を残すことになった琢磨選手のさらなる活躍を祈ります。琢磨選手、本当におめでとう!」。森山氏は喜びのコメントをこう締めくくった。

佐藤琢磨選手は、ホンダが子会社を通じて運営しているドライバー育成機関「鈴鹿サーキットレーシングスクール」の出身。かつてはホンダのドライバーとして「F1」にも参戦していた。その佐藤選手が米インディカー・シリーズに転進し、メインのインディ500で悲願の優勝を遂げただけに、ホンダとしての喜びもひとしおということだろう。

佐藤選手とホンダの付き合いは長い(画像はインディ500表彰式の様子)

ホンダは創業者の本田宗一郎氏以来、レース活動における技術研さんと人材育成が自社製品の品質向上につながるとの考えを持つ伝統がある。「レースはホンダのDNA」とも言われてきたのだ。

世界3大レースで最も伝統があるインディ500

インディ500は、日本では比較的知名度が低いが、アメリカン・モータースポーツのインディカー・シリーズでは最大のイベントに位置づけられている。F1の「モナコGP」と「ル・マン24時間レース」と共に世界3大レースに数えられているが、世界で最も伝統のあるレースであり、1日に最も多くの観客を集めるレースでもある。

筆者は2003年、インディ500の視察と取材で開催地の米インディアナポリスを訪れ、オーバルコースでの熱戦を目の当たりにした。全米から観客が集まり、インディ500一色に染まったインディアナポリスの雰囲気には圧倒された思い出がある。実は、この時に優勝したのがトヨタ自動車のエンジン搭載車だった。ちなみに、トヨタは後にエンジン供給から撤退している。

一番いいエンジンを作りたい

ホンダの経営にとって、モータースポーツ活動は切っても切れない関係にある。創業者の本田宗一郎氏が2輪でも4輪でもレース活動に積極的だったし、歴代のホンダトップが本田技術研究所出身の技術屋でもあったので、その伝統が引き継がれている。

「ホンダが一番早く、一番いいエンジンを作るんだ」とは本田宗一郎氏の言葉だが、ホンダのレース参戦は、市販車への技術のフィードバックと技術屋の研さん、そして人材育成が根底にあるのだ。

F1挑戦に当たってホンダが開発した試作車「RA270」と本田宗一郎氏

かつて、本田宗一郎氏の後を受けてホンダの2代目社長となった河島喜好氏からは、2輪車の「マン島TTレース」における苦難の経験を聞いたこともある。その後の歴代社長もモータースポーツ好きで、福井威夫社長は自らF1に参戦したマシンに乗り込み、栃木研究所で走ってみせることもあったほどだ。

鈴鹿サーキットに続く栃木・もてぎはインディ500を意識

ホンダは、レース参戦と共にレース場のサーキット経営にも早くから乗り出している。「鈴鹿サーキット」は1964年に開場。さらに1997年には、栃木に「ツインリンクもてぎ」を整備した。鈴鹿サーキットは、日本の代表的なモータースポーツの場として定着しており、モータースポーツのドライバー育成スクールも運営して日本人ドライバーを輩出している。佐藤琢磨選手も卒業生であることは前述の通りだ。

栃木のツインリンクもてぎは、日本初のオーバルコースを持つサーキットとして建設した。ホンダが1994年から米インディカー・レースにエンジンサプライヤーとして参戦していたこともあり、開場翌年の1998年には、もてぎで「インディジャパン300」が初開催された。

ツインリンクもてぎでの「インディジャパン」は2011年まで続いた(画像はラストレースとなった2011年のスタートシーン)

だが、「レースはホンダのDNA」といえども、経営環境次第では、モータースポーツ活動における投資を控えざるを得なくなる。典型的な例がリーマンショック後のF1からの撤退だ。当時の福井社長は苦渋の決断と言っていたが、それだけF1には莫大な投資が必要ということなのである。

その後、ホンダは2015年にF1再々参戦ということになったが、これも経営好転があったからこその復帰なのだ。一方で、米インディカーにはエンジン供給を続け、現状でインディはホンダとシボレー(GM)のマッチアップとなっている。そんな中で、今回の佐藤琢磨選手の優勝に至ったわけである。

コストと効果のシビアな関係

自動車メーカーにとってモータースポーツ活動は、ブランド価値向上策の一環でもある。また、レース活動に参戦することで技術を磨き、本業(市販車)にフィードバックすることもできる。さらに、モータースポーツファンを広げることも狙いだろう。

しかし、モータースポーツの最高峰と言われるF1は莫大な投資がかかり、一部では「金食い虫」との声も聞かれる。トヨタはすでに撤退し、再々参戦したホンダも困難な状況が続く。つまり、勝てなければコストに見合った効果が上げられない、ということでもあるのだ。

先日のF1「モナコGP」でホンダは、ジェンソン・バトン選手とストフェル・バンドーン選手が共に完走を果たせない厳しい結果となった(画像はバンドーン選手が搭乗したマシン)

「もっといいクルマづくり」の根幹と言う豊田章男トヨタ社長

ここ最近の日本車メーカーの中で、最もモータースポーツが好きな経営者は、トヨタの豊田章男社長だと言われる。「モリゾー」の名前でモータースポーツに自ら参戦するほどだ。先日のトヨタモータースポーツ活動発表会には、章男社長がサプライズ登場し、18年ぶりの世界ラリー選手権(WRC)復帰にかける熱い思いを語った。章男社長は、トヨタのモータースポーツ活動への取り組みは「もっといいクルマづくり」の根幹だと言う。

一方、ホンダがレース活動を続ける背景には、歴史的な出来事となったマン島TTレース参戦も含めた、「世界と技術力で戦う」企業文化がある。同社の伝統とも言える“負けず嫌い”な気質がレース活動に通底しているのだ。その企業文化が技術競争を生む原動力となり、レースに関わることで技術者が成長するという人材育成も重視する。

いずれにしても、F1復帰後もなかなか勝てないホンダにとって、インディ500を佐藤琢磨選手が日本人として初めて制覇したというニュースは、朗報であり今後の糧になるだろう。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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